Franponais [フランポネ] 24h - Forum - 掲示板

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#1 2009-06-24 18:07:36

yossy
Interprète - 翻訳メンバー
Homme - 男性 Japonais - 日本語
From: osaka, japon
Date d'inscription - 登録日: 2007-11-24

雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

ここに、「はじめましてm(_ _)m by KA」での私とKAさんの対話を移動させます。
論とは名ばかりの、日仏の文化の相違について雑談めいた「ざっくばらん」なやり取りです。
ご興味ある方、異論反論等ある方、お気軽にご参加ください。smile

Ici, j'ai transférré la conversation entre KA et moi.
Ça c'est une conversation un peu bavarde, sur la différence culturelle franco-japonaise.
si ça vous intéresse, ou surtout si vous avez des avis différents ou contraires, n'hésitez pas à y participer.

Pour le fait que on n'avait écrit qu'en japonais ici,
Nous demandons pardon à ceux qui ne comprennent pas nos discours.
Nous allons résumer les principales points de discute, et vous les présenter à nouveau, en bilingue.
Cela va être en forme beaucoup plus facile à lire.

------------------------------------------------------
(これまでの議論) la conversation faite jusqu'à maintenant

yossy >> KA

私の経験から言わせていただくと、留学手続きの一切(入学願書の取り寄せやビザの取得)がフランス語でできれば、生活するにあたっての最低限の語学力はあると思っていいのではないでしょうか。(仏検でいえば準2級?)
教父哲学を研究されていたとの事ですので、おそらくアウグスティヌスが中心なのだと拝察します。
私は専攻がフランス哲学でデカルトがメインでしたので、かなり話題の共有ができるかと思います。
ただし、個人的に心惹かれるのはむしろモンテーニュだったりします・・・
教会建築ですが、確かに地方の小さな村には変わった造りの教会があります。それは結局、その土地ごとにカトリックの受容のされ方が違うということと関係していて、そういった歴史的な背景を追うのも楽しいと思います。
私がこのサイトで期待しているのがまさに「外から日本を眺める」ということで、皆さんにぜひ「ここが変だよ日本人」をズバリ言っていただきたいと思うのですが、批判的なことはなかなか皆さん口に出しづらいものですから、何かいい方法はないかと考えているところです。

KA >> yossy

メッセージありがとうございました。そうですね、仏検を目指して勉強することが、定着度もよく理解できますし、良いことですね。但し、やるからには、目的意識がはっきりしていないと語学の習得は無理ですね。今の私のレベルから言うと、せいぜい、観光がいいところ。でも、すこしずつでも前進できればと考えています。アドバイスありがとうございました。

教父哲学、そうです、私の卒論は当に「アウグスチヌス」でした。友人は、ベルクソンを研究していましたが・・・。

yossyさんは、専攻がフランス哲学でいらしたのですか?それは奇遇ですね。しかし、デカルトがメインならば、「近代哲学」を専攻されているのですね。私も、一応は、ヒルシュベルガーの「小哲学史」などを学んで、哲学史の流れは理解しているつもりですが、学生時代は、近代についてはあまり興味がありませんでした。
 でも、フランス哲学は、なんと言っても、まず近代哲学の父と言われた「デカルト」ですよね。また、思想家と言われた「モンテニュー」の著書もすばらしいと思います。

数年前に、母校に週1で通って、哲学の教授を囲む会の中で、「近代」を勉強したことがあります。「あなたたちは、まだ近代が途中でしたからね」と。その教授は、女性のシスターなのですが、慶応の哲学科卒で、ご専門は「トマス・アクイナス」と形而上学でした。今は、その勉強も、途中になってしまい残念なのですが・・・。

学術的に見ても、フランス人の方は、デカルトの精神(批判精神)が今も尚、フランス社会に息ついていて、フランス人の
人格を形成しているように見えるのですが、留学されたyossyさんは、そのところ如何お考えになりますか?

宗教、文化の視点から捉えると、日仏の違いが見えてきますね。 それでは、また。

yossy >> KA

慶子さん、

数年前に、母校に週1で通って、哲学の教授を囲む会の中で、「近代」を勉強したことがあります。「あなたたちは、まだ近代が途中でしたからね」と。

どういう意味で仰っていたか、覚えていらっしゃいますか?
近代の終わりをどの時点とするかには諸説あると思いますが、日本であれば一般的には終戦をもって区切りとしているように思います。

アウグスティヌスの存在証明「私が誤るなら、私は存在する」は、デカルトの有名なCogito ergo sumと類似しているため、デカルトの先駆者として考えられています。ただしデカルトは方法序説で初っ端から「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである」と言い放つため、アウグスティヌスとは主張において真っ向から対立しますが(笑)。

デカルトの批判精神がフランス人の人格を形成しているか?ですか。
どうなんでしょう。一人一人は良く分かりませんが、シャンソンとかジョークとかはクリティカルな傾向があるように思いますね。
ものを書くときの伝統になっているようなところはあるかもしれませんね。

Merci beaucoup ,yossy.ありがとうございます、ヨッシーさん。川柳の仏訳、お見事です。すばらしい!!!

おっしゃるとおりですね、世界経済は、グローバル化が進み、急速に発展を遂げています。しかし、アメリカを発端とする
経済危機に直面し、人々も、生活を見直し始めたのではないでしょうか?
 近年、「スローライフ」と呼ばれる価値観が生み出されたのもその1つではないかと思います。食の世界も、最近は
ゆっくり時間をかけて作るスローフードなどが見直されていますよね。

私たちは、多くの物質文化の中で、その豊かさを享受しているわけですが、一方失っているものも多々あるわけで、
「ゆっくり、ことこと、時間をかけて・・・」スープのCMにあるセリフではないですが、「ゆっくり時間をかけること」って
大切なことだと思います。ワインもゆっくり寝かせて時間をかけると、中のワインが熟成され、美味しいワインができ
ますものね。

在日10年のフランス人尼僧さんのおっしゃることは、「ほんとうの豊かさとは?」と言う話につながるものであると思い
ますが、日本では、「足ることを知れ」という諺があり、それに似た考えであるかもしれません。

                                                                keiko , 慶子

グローバリゼーションとは、世界規模で活動する資本が、多様な世界を経済効率性の価値観に一元化し、人間存在を道具化(対象化)しながら自己増殖していく一連の動きのことである、と認識しています。本来は人間存在が主体で資本が対象であるべきところ、主客逆転が起こっています。
経済危機が起こったことで、グローバルに活動する資本はこの損失を補填するために、人々からの搾取を強めています。
私たちは多かれ少なかれ、望むと望まざるとにかかわらず、このグローバル化の波に取り込まれてしまっていますね。
「スローライフ」を実践するには、実際にはその余裕を生み出すためのある程度の経済的豊かさ、というか、ある程度完結した職業スキルであったり、運用できる資産であったり、過去の社会的貢献の見返り(年金など)であったり、高度な教育水準であったり、広範な人的ネットワークであったり、要は経済価値を生み出す有形無形のストックが必要になると思います。つまりある程度資本の自己増殖に加担する共犯関係でいなければならないわけですね。実際、地方から都会に出てくる理由の多くは、地方で暮らしていけるだけの豊かさを持ち合わせていないから、そのようなストックを求めてやってきているのではないでしょうか?
特に若者たちにとって「スローライフ」は、したくてもできない、夢の生活と捉えられていないでしょうか?
ボルドーワインの最高のものは何十年もの時間をかけて熟成されるそうですが、そういった高級ワインはロスチャイルド家やモエ・ヘネシー=ルイ・ヴィトンなど世界の大資本によって経営されています。それは正に「世界の最上の部分」「上澄み」であり、グローバル経済の恩恵を受けている人々によって飲まれているのだろうと思います。

このような動きに、何とか「したたかな抵抗」を試みることはできないものでしょうか?

足るを知る、と仰いましたが、おそらくこの文脈にあてはめるならば、
経済価値(値段)じゃない、「私の」価値基準を持ちなさい、ともいえるかも知れませんね。
人生観につながる問題なのだろうと思います。
昨今、日本人は個人主義から家族の連帯を重視する方向に回帰しているそうで、興味深いです。

KA >> yossy

yossyさん

数年前に、母校に週1で通って、哲学の教授を囲む会の中で、「近代」を勉強したことがあります。「あなたたちは、まだ近代が途中でしたからね」とは
どういう意味で仰っていたか、覚えていらっしゃいますか?
近代の終わりをどの時点とするかには諸説あると思いますが、日本であれば一般的には終戦をもって区切りとしているように思います。

ご丁寧なメッセージを頂き、ありがとうございました。
教えていただいた教授の授業では、扱っていた教科書のなかでは「近代」は、途中まで(カント批判的観念論)でした。ですので、囲む会ではフイヒテ(主観的観念論)からいたしました。そういうことなのですが、ご理解いただけましたでしょうか?年代でいえば17,18世紀です。

デカルトの合理主義哲学、もう一度じっくり学びなおしたいものです・・・。現代のフランス人の哲学的思考にも大いに影響があるはずですから、その
ところ、じっくり掘り下げてみたいものです。「なぜ、フランス人はそういう発想に至るのかとか・・・?」大いに興味があるところです。smile

                                                          
グローバリゼーションのご説明、よく理解できました。ありがとうございました。
今回の、経済危機は100年に一度といわれていますが、資本主義経済の崩壊は避けられないとの認識があるならば、なぜ人間は、歴史から
学習できなかったのか?との疑問が残ります。
 世界には多くの経済学者がいますが、警告を発信できない経済学者は、人間を真に生かす経済学者とは言えないように思います。
まあ、資本主義経済の社会は、拝金主義とも結びついて、人を物化してみる傾向が強く、効率性重視であったり、人間の精神性に悪影響を及ばし
かねない危険性がありますね。

共産国のフランスは、またアメリカや日本とは見方が違うのでしょうね?!移民をかなり受け入れていますし。またフランスは、自給率の高い農業
国でもありますよね。チーズやワインの産出国としては、かなりの水準の高さを誇っていますね。
「スローライフ」の実践は、確かに格差のある社会では、難しい問題かもしれません。しかし、価値観の問題ですから、何に価値を置くかで
異なってくると思います。

昨今、日本人は個人主義から家族の連帯を重視する方向に回帰しているそうで、興味深いです。

そうですか?!私も、そのような社会を希望いたします。だだ今、地区の民生委員を仰せつかっておりますが、私の担当の独居高齢者が10名
ほどいらっしゃいます。皆、孤独と闘いながら、日々を送っている方々ばかりです。欧米化された、核家族化を良しとするならば、家族がもっと関
わらなければ、本当に独居の方は、孤独に陥ってしまいます。現実問題として、先日、ご近所でお二人の独居の高齢者がお亡くなりになりました
。しかも、ご自分の敷地内にご家族がいるのにです。一人は、孤独死、もう一人は、自ら命を絶たれるという悲しい結末(認知症が進んでしまっ
た為)でした。伴侶亡き後の男性たちですが、やはり、ご家族の連帯の絆が必要だと思います。古き日本の、一つ屋根の下に暮らす大家族とい
う暮らしも、この経済不況や住宅難(ローンが払えない現状)で見直されつつあるのかもしれません。

yossy >> KA

慶子さん、

近代についてのお話、それで分かりました。ありがとうございました。
「あなたたちは、まだ近代が途中でしたからね」という文を、「あなたたちを教えてた時代は、まだ近代だった」という意味に理解していました。
謎が解けました(笑)!

「なぜ、フランス人はそういう発想に至るのかとか・・・?」大いに興味があるところです。

具体的にどういうところが面白いと思われますか?

今回の、経済危機は100年に一度といわれていますが、資本主義経済の崩壊は避けられないとの認識があるならば、なぜ人間は、歴史から学習できなかったのか?との疑問が残ります。

私は、資本主義経済の崩壊は避けられないとは思いません。むしろ続くと思います。慶子さんは、崩壊するとお思いですか?
世界規模で経済格差を拡大させながら発展するグローバル経済を、どうコントロールできるのか?あるいは人間はそれとどう付き合っていけばいいのか?が問われているんだと思います。

共産国のフランスは、またアメリカや日本とは見方が違うのでしょうね?!移民をかなり受け入れていますし。またフランスは、自給率の高い農業国でもありますよね。チーズやワインの産出国としては、かなりの水準の高さを誇っていますね。

そうですね。食料自給率の高さは、食料品の安さに関係していると思います。見た目そんなに安く感じないですが、SMIC(法定最低賃金)は時給で8,71ユーロですから、けっこう楽だと思います。消費税(TVA)が高くて、外食など贅沢すると19.6%とられますが、スーパーで食料品など買う分なら5.5%ですので日本と変わりません。フランスの税収トップはこのTVAです(グラフ)から、他の税金はさほど高くないのではと思います。*ちなみにPIB(国内総生産)に対する税収と社会保険料の合計の割合は、先進国中最も高い部類に入ります。(日本の27,4%に対してフランスは44,1%、2005年)
それから移民に関していえば、PACS(民事連帯契約法)というものがあって、詳しくはリンクのほうをみていただきたいのですが、結婚よりも規則のゆるい結婚契約で、これを利用すれば、通常の結婚と同じくフランス市民権の取得、税控除などがうけられる一方、離婚は双方の合意なしにできるというのがあります。日本人で利用してる人も結構いるようです。それから、なんといってもフランスはバカンスが長いですね。しかもこのバカンス、全部有給なんですよね(法定です)。そもそもフランスと日本では労働観がぜんぜん違いますよね。サービス残業とか、フランスじゃありえないでしょう。日本では、グローバル化のせいで経費削減が必要になり正社員を派遣やバイトに置き換えた挙句、正社員の仕事量が増えそれを無給でこなす事態が発生していますね。フランスでは労働者の発言力が強いため、グローバル化のつけを労働者にまわすようなことがあるにせよ、ここまでひどくはなっていないのではと思います。
さらに、フランスは公立学校が基本無料ですが、日本は高等教育が高額で、しかもさらに値上げしようとしていますね。大阪では公立の保育所すら、予算不足を理由に民営化しようとしていますよ。
そんなこんなで、フランス社会は家族をもつことを奨励していて、一緒に質素に暮らすサラリーマンなら、充分に「スローライフ」が送れる条件が整っていると思います。また、前述した「経済価値を生み出す有形無形のストック」についても、日本より手に入れやすい環境にあるだけでなく、より少ない富でゆったり暮らせると思います。
またここから、「スローライフ」を難しくしているのは格差ではない、ということもいえると思います。
所得格差なら、フランスのほうが大きいでしょう。

フランスの人々はこのことがいかに恵まれたことか、あまり自覚していないのではないでしょうか?
それゆえに、「スローライフ」にあこがれる、ということがいまいち分からないと思います。

ここは、本人たちにきいてみたほうがいいでしょうね。

現実問題として、先日、ご近所でお二人の独居の高齢者がお亡くなりになりました。しかも、ご自分の敷地内にご家族がいるのにです。一人は、孤独死、もう一人は、自ら命を絶たれるという悲しい結末(認知症が進んでしまった為)でした。伴侶亡き後の男性たちですが、やはり、ご家族の連帯の絆が必要だと思います。

地方にあってすらこういうことが起こっているのは残念ですね。
お察しのとおり、これから日本では、国内個人資産の大部分を持つといわれている60代以上の世代に、家族が「寄生(言葉は悪いですが)」する代わりに老後の面倒をみるというスタイルで、分散していた家族の再集結が起こるのではないかと思っています。その際、問題は仕事ですよね。職場を変わらなければいけないとなると、今の日本じゃ大変です。

KA >> yossy

   yossyさん

返信遅くなり、失礼をいたしました。「フランス人の発想」のことはですね、フランス人の方は、日本人に比べ非常に表現法が、
ストレートに感じます。はっきりしているので,分かり易いです。合理的に物事をとらえようとする割合は、日仏の差はどうか?な
どというところまではわかり兼ねますが・・・、そこは、ご留学なされたyossyさんの方がお詳しいのではないでしょうか?
 具体例は、プライベートな話になってしまうため、ここでは控えさせていただきたいと思います。すみません。

私は、資本主義経済の崩壊は避けられないとは思いません。むしろ続くと思います。慶子さんは、崩壊するとお思いですか?
世界規模で経済格差を拡大させながら発展するグローバル経済を、どうコントロールできるのか?あるいは人間はそれとどう付き
合っていけばいいのか?が問われているんだと思います。

資本主義経済は、100年前と今現在の崩壊状態によってその性格が、証明されているのですから、やはり、いくら続けても
また、同じ結果を招くことになると思います。hmm

フランス社会の様子を詳しくご説明くださり、誠にありがとうございました。とても参考になりました。知らないこともたくさんあり、勉強
になりました。フランスは、社会保障がしっかりしていて、労働者も日本と違って長い休みがとれたり、(心身の健康重視でしょうか?)
理想的ですね。
 それに比べ、日本は昔から、盆暮れ、正月の数日間だけの休暇がほとんどですから、経済大国世界第2位といわれていても、
真の意味で豊かな国とは言えませんね。先進国で自殺者が年間3万人、というのは、日本だけだそうです。過労死で亡くなる方も、
当然、この数字に含まれていますから。

フランスは、人間の精神性を大事にする国と聞いていますが、バカンスを大切にして心身の休養を十分とるようにし、家族や友人や恋人
と過ごす時間を本当に大切にしているようですね。・・・・日本の単身赴任とか、遠距離恋愛とかは、フランス人には考えられないことで
しょうかね・・・?フランス人の皆さんにも、聞いてみたいですね。roll

                                                     keiko , 慶子

yossy >> KA

慶子さん、

フランス人の方は、日本人に比べ非常に表現法が、ストレートに感じます。はっきりしているので,分かり易いです。

そうですね。同感です。おそらくはフランスの文法や文化が影響しているのでしょう。
また、外国人に対しては、もってまわった表現が伝わりにくいので避けている、ということもあるのではないでしょうか?
日本人でも、文化を共有していない相手と分かっていれば、できるだけシンプルに伝えるようにすると思います。

合理的に物事をとらえようとする割合は、日仏の差はどうか?などというところまではわかり兼ねますが・・・、そこは、ご留学なされたyossyさんの方がお詳しいのではないでしょうか?

私もさほど多くのフランス人を知らないので、概してどうこうといえる立場ではないですが、知っている人たちの話し方は基本的にディベート調というか、筋道立てて説得するような言い回しかもしれませんね。友人同士で利害が対立したときも遠慮せずに言うべきは言い、お互いの妥協点を見つけて、後腐れなし、本人たちはけろっとしてる、ということがありました。こういうことは日本人同士では難しいかもしれません。
彼らにとって言葉を発することが大事、っていうのはすごく感じます。日本人みたいに黙ってたら何も考えてない(感じてない)のと同じと理解されるようです。

資本主義経済は、100年前と今現在の崩壊状態によってその性格が、証明されているのですから、やはり、いくら続けてもまた、同じ結果を招くことになると思います。

おっしゃる意味を「言葉どおり」理解していました。「崩壊」というのはつまり「不況」のことを仰りたいのですね。
そうですね。資本主義が続く限り不況はなくならないです。ただ過去の不況から学んでいないわけではないということはご存知だと思います。
不況が深刻化しないように、様々な研究に基づいた介入・政策が行われていますね(詳細は理解していませんが)。

それに比べ、日本は昔から、盆暮れ、正月の数日間だけの休暇がほとんどですから、経済大国世界第2位といわれていても、真の意味で豊かな国とは言えませんね。先進国で自殺者が年間3万人、というのは、日本だけだそうです。過労死で亡くなる方も、当然、この数字に含まれていますから。

そうですね。昔の日本型会社社会では働くことに生きがいを見つけやすかったから、休みが少ないことが本人たちにとって今ほど苦痛と感じられなかったのではないでしょうか?そうやって休まず働いてきた世代のおかげで今の日本の繁栄があることも忘れてはならないと思います。
一方でこの不況で工場のラインが止まったりして、人件費削減のため休まされるケースも増えてきました。そうなっても、今度はその休みをどう利用していいかわからない、という問題が発生していますね。単に休めればいいという問題ではなく、「文化的な生活とは何か?」という問いに各自が答えを探していくことが大事なのでしょう。それが結局「スローライフ」とは何か?という問いにもつながってくるのだと思います。
ただ、自由な時間をある程度確保することが「スローライフ」実現の基礎になる、とはいえるのではないでしょうか?

仮に日本でフランスのように、1年で5週間もの有給休暇があったら、皆何をするでしょうか?
結構な割合の人が「副業」と答えるような気がするんですよね・・・

単身赴任とか、遠距離恋愛とか

フランスでも職種によってはあるみたいですよ。

KA >> yossy

毎回、ご丁寧なご返事を頂き、ありがとうございます。日仏の文化の違い、理解できました。
フランスに限らず、欧米はやはり言葉による表現力が、必要となってきますね。会話を上手にふく
らませる能力をみられたり、これは、世界共通かもしれませんが・・・。

日本の経済に関しては、そうですね、戦後の高度経済成長を支えてきたのが、昭和初期生まれの方から
後の方、また団塊世代と呼ばれる方々でしょうか?この方々の勤勉さが、今の日本を世界第2位の経済
大国へと至らせたのですから、凄いパワーであったと思います。

しかし、米国のリーマンショックから波及して、今や世界が不況の波に呑まれているのですから、この経済
の立て直しには、かなりの時間を要するように思いますね。

 フランスは、この不況下においても、バカンスが5週間?(すべての企業ではないですよね?)もとれるとは・・、
そう考えると今、日本で仕事をしたいと思うフランス人は、いないでしょうね?

そうですね、日本人でしたら、5週間もあったら副業かも?ですね・・・。勤勉な日本人にとって、バカンス
やレジャーを楽しむことは罪悪のように感ずるのかもしれません。(笑)

yossy >> KA

フランスのバカンス(有給休暇)についての資料です。

«LES CONGÉS PAYÉS» Force-Ouvrière

基本的に、1カ月の労働につき2.5日の有休が付き、1年あたり25日(週休2日の場合)、あるいは30日(週休1日の場合)の有休が取れます。

<夏期間(5/1~10/31)>
夏期間の有休は最低12~24日の連続した休暇をとることが義務付けられています。

<冬期間(11/1~4/30)>
夏期間の残りの休暇を消化します。

・世界の有休取得状況について
エクスペディアレポート/国際有給休暇比較 2009
フランスは有休がこんなに多いのに、消化率も高いですね。

KA >> yossy

フランスの有給休暇資料、及び国際有給休暇比較2009の資料の提供ありがとうございました。

実際の現状を見て、驚きました。日本や米国は確かに世界のトップの地位についてはいますが、
労働条件は、あまりよくないようですね。

特に日本は、職場での上下関係によって、有給が自由にとりにくい現状があるようですね。
私が働いていた頃から(20数年前)日本は、未だに変革が行われていませんね。
私なども、当時上司や周りに気を遣いながら、というかまず上司に優先権があることは、
暗黙の了解という雰囲気でした。確か、夏で5日はありましたが、すべては消化できなかった
と思います。日本社会では、この伝統が今なお引き継がれ、お上に楯突くと後が怖い!
経営者、あるいは、上司のきげんを損ねると、解雇もあり得るわけですし、難しいですね。

一方フランスは、流石!革命のあった国ですね。市民の力は、日本を遙かに超えています。
日本人は、おとなしく、自己主張が弱いように思います。もっと抗議行動起こして、権利を主張し
自分たちの生活の確保に一生懸命になってもらいたいのですが・・・しかし、それをしたら、自分が
職場から追放されてしまう可能性もなきにしもあらず・・・。だから、おとなしく従うしかないのかもし
れません。それと、皆企業戦士になって、会社の経常利益を上げるために忠誠を捧げている人が
多いと思います。適当にそこそこができない・・・、やはり、自分にも跳ね返ってくると思うと頑張ら
ざるを得ないのでしょう?!

とにかく日本人は、よく働きますが、その分ストレスも多く、皆疲弊しているといわれていますね・・・。
早く、休暇も世界レベルに追いつくようになってほしいものですが、なかなかついてしまった体質を改善
するのは、この不況下、至難の業かもしれません。

yossy >> KA

慶子さん、

ホントにそうですね!
休みがとりにくいのはやはり、日本の会社の精神風土が強く影響していると思いますね。
部署内の精神的な一体感ってすごく大事で、皆で仕事してる意識が強いから、その場にいないことが何となく後ろめたいというか・・・
仕事帰りに飲みにいくぞ、とか誘われても、断りづらい。それはやっぱり、そこでしか聞けない話もあるからですよね。

上下関係も大きいと思います。大阪の場合、やっぱり商家道徳の伝統みたいなのが心の底にあるわけです。
年配の上司から見れば、下っ端は、丁稚や手代と同じようなもんですね。「半人前のくせに、休みが欲しいのか?」という意識があると思います。ひと昔前なら、上司に優先権があるのはもちろんのこと、上役の胸先三寸で休みの時期も長さも決まってたと思います。
それは結局、仕事は現場で教えてもらうものであり、「お世話になっている」「面倒を見てやっている」という徒弟制度的な気持ちのやりとりがあるから、法令などの決まりごとがあったとしても、ひとまず横に置いといて、まずは上司の言うことをきくのが正しい、という価値観があったように思います。お休みを「いただく」なんて言い方に典型的な発想ですね。

それから、個人単位で別々に長期休暇をとることに対する社会的な合意がまだできていない、というのが大きいと思います。
部署内で誰かが長期にわたって不在となると、その穴を埋める周囲の負担は結構なもので、実際、外からの問い合わせ対応など大変です。
問い合わせに対して「○○は現在長期休暇をいただいてまして~」という対応は、残念ながら現状では、顧客の納得を得られませんね。
「申し訳ありません」と言わなくてはなりません。ひょっとすると、仕事が円滑に進まないことを極度に嫌う文化があるから、迷惑をかけたくないから、休めないのかも知れません。
対照的にフランスでは、問い合わせに対して「担当者はバカンス中でいません」ということを平気で言います。それはおそらく、誰にでもバカンスは必要なものだから、お互い様という意識があるのではないでしょうか?そのためには多少の不便はやむをえない、という言い分です。

最近は日本でも、有休消化率アップを目指す全社運動というのは多くの会社で行われていると思います。計画休暇ということもやってますね。でも、まとめて長期でとることにはかなり抵抗があって、たいていは分散させてとるわけです。
この場合、皆心の中で「このクソ忙しいのに、100%なんて無理!」と思ってるでしょう。でも上司(消化率をあげたい)にむりやりとらされて休むんだけど後がきつい、というパターンが多いんではないでしょうか?

ここまでみたような、日本人の「休むなら皆一緒に」「上に強制されないと休めない」という特性からか、日本では祝日の数が多いですね。
GWとか、お盆という「何か自分たち以外の理由にかこつけた」連休があります。親元に帰る、墓参りに帰るから、たまたま休みが続くから、といった、「休みたくて休むんじゃないよ」という言い訳がましい休み方が日本人の休み方のメインになっていると思います。
それでも、こういう休み方でも国が祝日と指定してくれなければまともな長期休暇がとれないメンタリティなんですから、国のこの政策には感謝すべきなんじゃないでしょうか。それに、皆で一斉に休めば仕事も溜まらないから精神的にもいいですよね。

一方フランスは、流石!革命のあった国ですね。市民の力は、日本を遙かに超えています

仰るとおりです。私は、日本の社会に最も欠けているものの一つは、市民の政治参加だと思います。今はネット上でいろんな資料を取り寄せて学ぶことができます。専門家に任せきりにしないで、自分の頭で「どうあるべきか」を考えていくチャンスだと思うのですが、残念ながら、目の前の仕事を片付けるのに精一杯で、その時間的・精神的余裕がない方が多いのではないでしょうか?

「企業戦士」という言い方は、もはや過去のものになりつつありますね。
終身雇用が期待できない中、企業に忠誠を尽くすかのような勤務態度は既に説得力を失っています。
いくらがんばっても、景気が悪くなったら簡単にチャラになってしまい、内容によってはクビですからね。
もはや「企業あっての我が身」とはいえません。皆一応は「会社がこけたらどうするか?」「クビになったらどうするか?」を現実的に考えて身の振り方をある程度準備しているとおもいますよ。

企業のやり方に「おとなしく従うしかないのかも」と考えている慶子さんのような方が典型的日本人なのかもしれません。
であれば、私が望むのは、今よりもっと多くのフランス人が日本で働いて、フランス流の就労意識を日本企業に広めることです。
外圧がなければ変われない日本人であるなら、外圧をむしろ望みますね、私は(笑)。

実際フランス人はこれだけ休んでいながら、フランス人のほうが一人当たりの生産性というのは高いそうです。
無駄な時間を会社で過ごさない、自分の担当の最低限必要なことだけをやったらすぐ帰る、ということを徹底しているのでしょう。
また、もともとフランスのバカンスはブルジョワなど知識労働者の特権だったらしいです。何か創造的なことをしようと思えば、日常を離れていろんなことに思いを馳せる時間が必要だというのは今も昔も変わりません。そういう非日常の世界に遊ぶ時間があるからこそ、フランス文化は独創的な作品や画期的なシステム、製品(慶子さんもご存知のシトロエン、コンコルドなど)を作り出せたのでしょう。そういう付加価値の高いものを開発できる層が莫大な利益をだしているからこそ、生産性があがっているともいえると思います。
日本でも、クリエイティヴな仕事をする会社は特に、「休ませたほうが生産性があがる」ということを自覚し始めたようです。

KA >> yossy

yossyさん

フランス国のバカンスに対する価値観は、多大なようで、人々の生活の中でも大きな比重を占めているようですね。
「フランス人は、バカンスのために仕事をする」とも言われていますから。

先日ある掲示板で読んだのですが、ご夫妻でPARISを訪れた日本人観光客の方が,あるレストランに入ると、
注文したものは、なかなか運ばれてこないし、やきもきしていたがそれでも待って、やっと運ばれてきたものをみると
、メニューにある品とは異なるし味もよくないので、どうしたのかと店の人に問いただすと、何とお店のシェフが怒って出
勤していないとのこと。このようなことは、日本ではあまり聞いたことはありませんが、ストライキのある国ですから、そう
いうことも起こりうるのでしょうね。面白いと思いました。

フランスは、個人主義の社会ですから、個人の主張を社会が上手く認めていますね。個人の意見を尊重し、創造的な
社会を形成している国であると考えています。上からの圧力がなく、個人の自由が認められている国では、1人1人の
創造性が豊かに開花し、あらゆる方面で人間の持つ幅広い才能が、余すところなく発揮されていると思います。

企業のやり方に「おとなしく従うしかないのかも」と考えている慶子さんのような方が典型的日本人なのかもしれません。

前後の文面をよく読んでください!私は、上のように考えている人間ではないのですよ。日本の社会が変わらないので、
「仕方ないのだろうか・・・?」という疑問視した見方が含まれた文章なのです。私のことを「典型的日本人」とおっしゃる
のは、語弊がありますし、侮蔑している言い方ではないかと捉えますが・・・。

yossy >> KA

慶子さん、

前後の文面をよく読んでください!私は、上のように考えている人間ではないのですよ。日本の社会が変わらないので、
「仕方ないのだろうか・・・?」という疑問視した見方が含まれた文章なのです。私のことを「典型的日本人」とおっしゃる
のは、語弊がありますし、侮蔑している言い方ではないかと捉えますが・・・。

そうでしたか。失礼しました。

しかし、それをしたら、自分が職場から追放されてしまう可能性もなきにしもあらず・・・。だから、おとなしく従うしかないのかもし
れません。

この部分を読んで、「大きな流れには逆らえない」と諦める日本人的考えだなと感じました。実際はそう考えていらっしゃらないのですね。
実際そういう、「己を無にする」というか、「中心の空虚」とでも呼ぶべき独特の諦念は日本人の心の根幹を成していて、大変興味深いと思います。そして、そういった諦念を私は称揚も軽蔑もしません。日本人らしいというだけのことです。ただいえるのは、そういった日本人の特質をベースにして日本人にとって幸福な社会を考えていきたいということです。
私の言葉が足りないのがいけないのですが、「諦める」こと、「典型的日本人である」ことは悪いこととは思っていません。
しかしながら、慶子さんを「典型的日本人」と断じるかのような(実際にはそう断じる意図はありませんでした)発言は不適切でした。
侮辱などでは決してありません。誤解を招いてしまったようで、すみませんでした。

先日ある掲示板で読んだのですが、ご夫妻でPARISを訪れた日本人観光客の方が,あるレストランに入ると、
注文したものは、なかなか運ばれてこないし、やきもきしていたがそれでも待って、やっと運ばれてきたものをみると
、メニューにある品とは異なるし味もよくないので、どうしたのかと店の人に問いただすと、何とお店のシェフが怒って出
勤していないとのこと。このようなことは、日本ではあまり聞いたことはありませんが、ストライキのある国ですから、そう
いうことも起こりうるのでしょうね。面白いと思いました。

そうですね、コンスタントなサービスを期待できないのがフランスの特徴かもしれませんね。
特に公共交通機関のスト、トラブルは日常茶飯事で、まず時間の正確さは当てにできないと考えるほうが普通の感覚ですね。
こういうことをフランス人は「諦めている」わけですが、その理由は日本のそれとは全く違うのが面白いです。

フランスは、個人主義の社会ですから、個人の主張を社会が上手く認めていますね。個人の意見を尊重し、創造的な
社会を形成している国であると考えています。上からの圧力がなく、個人の自由が認められている国では、1人1人の
創造性が豊かに開花し、あらゆる方面で人間の持つ幅広い才能が、余すところなく発揮されていると思います。

フランスでは、社会全体の意思とか利害というのはないんじゃないかと思っています。つまり「公共の善」というか、日本のように「世間様の迷惑になるようなことはできない」と考えるときのような「世間様」というのがないんじゃないかと。どこまでいっても個人(団体)と個人(団体)の利害対立、階級と階級の利害対立で、第3者から見てその関係は美しいかどうか?という発想はないんじゃないかなと思います。
例えば、この正月ですが、フランス人の友人と京都に行ったとき、彼が電車のベンチシートで大股開いて座るものだから、「みっともないからやめて」といったんです。そしたら「僕は誰の邪魔にもなってないし、自分の楽なように座ってるだけ」というんですね。日本では「身を美しくする」と書いて「躾」と言いますが、そういう観念がないみたいなんです。
彼には「日本では全体の雰囲気を敏感に読み取って、自分の所作がそれにふさわしいように合わせていく和の能力が必要なんだよ」と説いたんですが、なかなか難しいようです。

KA >> yossy

 毎回、ご丁寧なメッセージをありがとうございます。
私が、申し上げたのは、日本人としての客観的な一般論ですから、私自信の考えとはかけ離れています。
しかし、このような、言い方がもう、すでに日本人的なのでしょうね。本心を隠し、本音と建て前を使い分けてい
るのですから・・・。己れという者を知りました。(-_-wink

日本人の美的感覚とフランス人のそれとは、文化や習慣の違いから、かなりかけ離れているように思います。
フランス人は、人前で鼻をかみますが、日本人はそのような習慣はマナーの点では御法度。あと、お蕎麦など
音をたてて食べられないとか、食事中のマナーで、食器の音をたててはいけないとか・・・違いは見られます。

例えば、この正月ですが、フランス人の友人と京都に行ったとき、彼が電車のベンチシートで大股開いて座るものだから、「みっともないからやめて」といったんです。そしたら「僕は誰の邪魔にもなってないし、自分の楽なように座ってるだけ」というんですね。日本では「身を美しくする」と書いて「躾」と言いますが、そういう観念がないみたいなんです。
彼には「日本では全体の雰囲気を敏感に読み取って、自分の所作がそれにふさわしいように合わせていく和の能力が必要なんだよ」と説いたんですが、なかなか難しいようです。

おっしゃるようなことは、多少あるかもしれませんが、多分、個人的な差はあると思います。私の知り合いの仏人の
方は、TPOわきまえていて、きちんとするときは、足をそろえていましたから。
 特に親しい人の傍では、リラックスムードなのかもしれませんね。以前、知り合いの東京在住の外国人の若者が、
「僕は、日本人の集会などで、皆が緊張して下を向き、じーっと静かにして同じ格好をしているのは苦手だ!」と言っ
ていたのを思い出します。個人主義の世界で生まれ育った彼らにとって、このスタイルは自由を奪われ、耐え難いも
のなのかもしれません。

yossy >> KA

私には、このような話題でじっくりとお話ができる機会というのは最近は少なく、本当に有難いことと思っています。

そうですね、我々は「建前」という方法で、一般論で語ることが多いですね。「世間体」というか「見た目」が結構大事です。
フランスから日本に帰ってくると気付くのは、日本人は皆身なりが良くて、そこそこ「恥ずかしくない程度の」品質のものを身につけているということです。その「一般的に、常識的にこうでないと恥ずかしい」という感覚が「躾」の感覚とつながっているのではないか、と感じています。
以前フランス人と話していて聴いた話ですが、その人は中国人や韓国人の学生と日本人学生を見た目で見分けられるというのです。
「どこで見分けるの?」
「日本人はだいたいおしゃれで、革のバックとか靴とか、どこか一点はちょっといいものを身に着けてる。中国人や韓国人は実用性重視なのか、スニーカーの子が多い」
というんですね。なかなか面白い分析だと思いました。

日本人の美的感覚とフランス人のそれとは、文化や習慣の違いから、かなりかけ離れているように思います。

そうですね。マナーの違いはやはり価値体系(世界観)の違いからきていて、それは環境(身分の違い、地理条件の違い、歴史の違いなど)によって決まってくるんだと思います。
その最小単位は、家庭ごとに違うマナー(流儀)、夫婦・カップルごとに違うマナー、もっと突き詰めると「自分ルール」でしょう。
すごくユーモラスで素敵だなと思うのは、家庭ごと、カップルごとに独自の「用語」があったり、独自の呼称(モノに「~ちゃん」とか名づけたりする)を使ったり、独自メニューがあったりすることです。それは文化の多様性ということでもあり、とても大事にしているものです。
そういった文化の多様性を尊重するとともに、「郷に入っては郷に従え」というように、自分の流儀が他者のものとぶつかるときは譲る心の広さも持っていたいものです。

特に親しい人の傍では、リラックスムードなのかもしれませんね。

そうかもしれません。そして、公共の場でどのように振舞うべきか、意識する際の着目点が違うのだと思います。


「僕は、日本人の集会などで、皆が緊張して下を向き、じーっと静かにして同じ格好をしているのは苦手だ!」

面白いですね。仮に本当にこんな集会だったのなら私だって参加したくありませんね。本当にそんなお通夜みたいな集会だったのかは分かりませんが、結局彼にはそのように感じられたわけですね。
こういう、日本人が意識していないこと、あるいは当然と思っていること、みんな思っているのに誰一人として口に出さないことを、外国人が鋭く指摘してくれるのは、私には痛快ですらあります。

実際我々は子供のころから、朝礼やその他の集会で集められ、軍隊式の整列を教えられて、集団として管理されることに慣れています。
そこでは私語厳禁、おとなしくして、先生の言うことをよくきくことが一番大事でした。ですから、集会というとどうしても、おとなしく話をきくことに集中してしまい、自分の意見をアピールするのは苦手です。緊張しているのは、「自分は何か言わされるのではないか?恥をかかされるのではないか?」という気持ち、あるいは、「自分は意見があるけど、言えば面倒なことに関わらなくてはならないから言わない」という気持ちなど、理由は色々あると思います。
そういうわけで、実際には日本は個人主義ではなく、集団主義に近いですね。実態が集団主義なのに、個人主義の理念を、さも素晴らしいもののように教えられて、またそう信じ込んできた人たちは、日本の社会で非常に苦しい思いをしていると思います。
その悩みは、日本社会になじもうとする外国人、海外社会になじもうとする日本人の大変さよりさらに深刻です。
なぜなら、それはまさに夏目漱石が語った近代日本人の苦悩であり、「帰るところがない」「拠って立つところを見出せない」心の中の問題だからです。
6月19日は桜桃忌でしたが、太宰治などは正にこのジレンマの犠牲者といえると思います。
「自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳を二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質の家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛みながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。」
こんな表現は、この「日本人の集会が苦手な」外国人と同じことをいっているのではないでしょうか?

KA >> yossy

メッセージありがとうございました。私も、色々お話しできて、良い刺激を受けています。

日本人の美意識のとらえ方は、外国とは、少し違うようですね。個性を重んじる欧米に比べ、まだ日本の社会
は、「出る杭は打たれ」、「丸く収める」ことをよしとし、「その場を美しく」飾るために、自己主張を控えたり、波風
たてないようにとか、やはり、「和」の文化が中心にあると思います。これも、yossyさんがおっしゃった、集団主
義によって作られた思想でしょうか・・・。しかし、これによる教育は、人を受け身の人間に作り上げる危険性があ
ると思います。

でも、実際の日本社会は、それほど危惧する必要もなく、個人の意見が尊重される世の中になりつつあるように
思いますが、如何でしょうか?・・・

日本人はやはり、世界の中でも、ブランド志向の高い国であろうと思います。子供の頃から、親がブランドにこだ
わりを持ち、それを子供に与えています。

外国人の方が、日本の社会にとけ込めないのは、皆と同じように振る舞わなければマナー違反だと考えるところに
あると思います。「同じように振る舞わなくて良い」あるいは、「同じように振る舞ってはいけない」教育をうけてきた人
にとっては、かなりのカルチャーショックの筈ですね。

 太宰治のジレンマは、日本人なら誰でも経験しているのではないでしょうか?
このようなことは、私の親世代、また私に至っても、明治生まれの祖父母との同居で育ちましたから、それはそれは
厳しい環境であったかもしれません。とにかくお客様がみえた折りには、いつも三つ指ついてご挨拶しなさい!と言わ
れていましたから(笑)
 私の父などは、やはり太宰と同じお膳の生活。子供の頃のエピソードに食事中、あくびをしたら、隣にいる祖父から
鞭で足を叩かれたそうです。(昭和初期の話です)
 また、核家族の家庭と違い、子供が対等に大人に意見するなどと言うことは、まかり通らない雰囲気でした。正に
家父長制度の牢獄の中に閉じこめられたような生活でした。我が家は、明治・大正・昭和の人間が同居していたの
ですから、それはもう大変!。時代錯誤もいいところですね。(笑)

 日本に於ける礼儀や作法は、年配の方は、かなりうるさいと思います。「きちんとすること」を常に求められている
社会であると思います。外国人の方でも、日本の文化を当たり前のように、窮屈に感じない、むしろ素晴らしいと絶
賛してくださる方が、いるのではないですか?日本人の美意識も、1つの美学として外国人の方に、受け入れられて
いると思います。例えば、「禅」の修行など、近年フランスからの観光客(中高年)に人気だとか?


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#2 2009-06-25 15:58:46

yossy
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

慶子さん、

お返事が遅れ失礼しました。

やはり、「和」の文化が中心にあると思います。これも、yossyさんがおっしゃった、集団主義によって作られた思想でしょうか・・・。

そう思います。全体が一つの調和の取れた争いのない社会を「美」として無意識に志向するのが「和」だと思います。であれば、畢竟全体主義になっていかざるを得ません。それは個人主義とは真っ向から対立する概念だと思います。

なぜなら、
「和」を実践しようと思えば、そこで問われる関係の全体を鳥瞰する視点が必要になってきます。そこでの関係者全員の意図や感情を汲み取った上で、調和を「美しい」と感じ「己を虚しくして」それに相応しい「己」となることが必要になってきます。全体(俗にウチ/ヨソの二項対立図式で言うウチ)の利益のために各人が行動します。

これに対して、
「個人主義」を実践しようと思えば、自分自身の論理的に首尾一貫した世界観を追求する姿勢が必要です。自分と「自分以外の全て」(「世界」)との対立関係において、自分が世界にどうコミットするのかが決まることで、自分の各行動、言動が決まってきます。そして、自分と同様に他者も一個の「個人」として扱い、対人関係は全てこの「個人」対「個人」の関係として取り扱います。

・全体の「美」のために各人が「己を虚しく」する、「和」
・各個人の自由を尊重し、全体の「美」という概念がない、「個人主義」
2者は真逆のベクトルを持っていますね。

しかし、これによる教育は、人を受け身の人間に作り上げる危険性があると思います。

受け身、というと若干語弊があるかと思いますが、日本人のマジョリティを志向する精神性、日和見主義は教育にも由来すると思いますね。
昔のように、我々を取り巻く世界が「和」の思想しか教えないのであれば、それを疑うこと自体がなく、まさに「己を虚しくして」「滅私奉公」の心の修行をして「一所懸命」に働いていくことがすなわち善であり、公私の葛藤は公によって克服されるべきものなわけです。
ところが現代の日本では、多くの人が子供のうちから、どこでか「個人主義」的考え方を耳にし、知らぬ間にそれを良いことのように理解していると思うのです。
ここに、「和」の思想で動く現実社会と、理想としての「個人主義」という、相反する考え方の板ばさみにあって葛藤する日本人が出てくるわけです。
この基本的図式は、ここまででみた漱石や太宰のころから変わっていないと思います。「智に働けば角が立つ、情に棹差せば流される、意地を通せば窮屈だ。」というのは今でも変わっていませんね。純粋な理屈でもって他人を説得したり他人から説得されたりすることが難しい。説得に有効なのは「大多数がそうしているから」とか「そのほうが皆が納得するから」「~さんのメンツをつぶすわけにはいかないから」という、情にものを言わせたやり方だったりします。
また、若い世代でKYという言葉が流行ったことは、「空気を読む」のが今でも必要な社会的スキルであるのが現実、ということを若者たち自ら認めたことになります。
個人の意見がある程度尊重されているのは確かですが、重要な局面において個人の意見が封殺されることはままあり、「言いたいことが言える」社会かというと100%そうだとは言い切れないわけです。
「和の思想」と「個人主義」という相矛盾する考え方をハイブリッド的に運用する、という、極めてややこしい入り組んだことを強いられている、それが現代の日本人だと思います。

外国人の方が、日本の社会にとけ込めないのは、皆と同じように振る舞わなければマナー違反だと考えるところに
あると思います。「同じように振る舞わなくて良い」あるいは、「同じように振る舞ってはいけない」教育をうけてきた人にとっては、かなりのカルチャーショックの筈ですね。

あれ?逆ではないですか?
日本の社会にとけ込めないのは、「同じように振る舞わなくて良い」あるいは、「同じように振る舞ってはいけない」と考える人たちです。
皆と同じように振る舞わなければマナー違反だと考える人は、「和」を実践する人であり、日本の社会に溶け込めると思います。
そして、日本人は「同じように振舞わなくても良い」という理想論と、「皆と同じように振る舞わなければマナー違反」という現実の板ばさみにあっているわけです。
慶子さんがご紹介になった外国人のかたは、この板ばさみにあっている日本人と同じ心理状況だったのではないでしょうか?(それが、私が「面白い」といった理由です)
ただ、外国人の方は、この気詰まりな状況から抜け出して自国に帰ることができます。しかし我々日本人は、自分の家がそうなのですから逃げ場がありません。それが、「帰るところがない」「拠って立つところを見出せない」という言い方で私が言いたかったことです。
そして、この「自分の家からして気詰まりである」という近代日本人特有の悩みを誰憚ることなく率直に表現したのが先ほどの太宰の文章だと思うのです。

太宰治のジレンマは、日本人なら誰でも経験しているのではないでしょうか?

そうなのです。現代に生きる日本人なら誰でも、「気詰まりだ」と感じているはずのものです。にもかかわらず、誰もそのことを「気詰まりだ!」と声高に言ったりしないのは何故でしょうか?
他人にこのように指摘されれば「全くそのとおりだ」と思うのに、指摘されなければその「気詰まり」は意識されず、当たり前のことと考えられているのです。いかに我々が「和の思想」に心の底までどっぷり浸かっているか、ということでしょう。

私がこの引用をしたのは以上のような意味合いからであり、「厳しい礼儀作法に苛まれていた」ことが太宰のジレンマだという意味ではなく、この太宰の文にもそのような記述はないのですが、礼儀作法について説明して下さっていますのでご返答申し上げますと・・・

慶子さんのご実家はかなり厳しい躾をされていたようですね。「三つ指付いて」など、私の母(五十歳台です)でもそのような躾をされたとはききません。でも、食事中あくびをしてはいけないというのは私も言われました。さすがに鞭はありませんでしたが、父に怒鳴られましたね。
昔ながらの大家族というのは、やはり子供の立場が尊重されない環境のようですね。そういった教育環境であればこそ「和」の感覚が鋭敏に育っていくのではないかと思います。
私の育った環境は核家族でしたが、父が昔気質で、家族には「口答えは一切ならぬ」という一方で、「お前はどう思うのか?」と個人の主張を引き出そうとする、近代日本人の抱える矛盾を体現したような人間です。私が幼いころはこの矛盾を理解することができず、どうしたらよいものかとただただ煩悶していたものです。今にして思えば、父の求める模範回答をまるで自分の意思のようにして言わねばならなかったのですから苦しくて当然ですね。

「きちんとすること」を常に求められている社会であると思います。

そうですね。海外からの方にとってまず問題は「何がきちんとすることなのか」「何故きちんとするのか」なんですよね。仮にそれが理解できたとして、その内容を「自然なこと」と感じてくださる方もいると思いますが、当然のように実行するのは難しいと思います。なんせ我々日本人にとってすら難しいのですから。

私は、外国人には日本文化は理解できないなどというつもりはありません。素晴らしいといってくれる方もいるでしょう。ただ、「和」の思想を我が物として行動できる西欧人はそんなに多くないと思うのです。日本の美意識は主にビジュアル面において「洗練されている」として人気がありますね。和風の家に住むことに憧れ、自然の中に神の姿を見てとり、家では作務衣で過ごすという人は世界中にいると思います。しかしひとたび日本に居を構え、労働し家庭を築くとなれば、不可解なことだらけでしょう。そしてそれを受け入れることにこそ「和」の精神はあるわけです。しかも、この「和」の洗礼を克服できたところで、見かけが「外人」であれば「よそさん(京都弁で言えば)」として区別され、決して日本人と同列には見てもらえないのです。今のところ、日本人が考える最大の「和」のグループは「日本人」であり、日本人はウチ、外国人はヨソなのだと感じます。ですから、究極的にこの「和」に入れない外国人は、どこまでいっても完全な「和」の中には入れないということになります。我々は日本で外国人と接するとき、どうしても「外国人だから」と区別して考えているように思います。それは特に日本人の第3者を想定するときに顕著な気がするのです。

外国から禅の修行にこられるかたにどのような指導がなされるのかは知りませんが、観光で修行にこられる方はどれぐらいいらっしゃるのでしょうか?
私は最近外国人向けの禅の概説書を読んでいるのですが、ようやく禅とは何か「頭で」理解し始めたばかりです。禅とは実践が大事で、頭で理解するだけでは不十分だそうです。外国人が日本人より禅を理解しているということはありえますが、個人主義者である西洋人が禅の命じる「主客の対立から離れよ」(まさしくこれは「和」の思想であり、個人主義に反します)を実践するのは至難の技であろうと想像します。


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#3 2009-06-26 07:53:23

KA
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

yossyさん


ご丁寧なメッセージ、ありがとうございました。また、こちらへの移動を試みてくださり恐縮いたしております。

日仏文化論をフランス人の方達と繰り広げるには、相当フランス語のレベルを上げなくてはいけませんね。(^^wink
そして、ご参加いただけるような工夫も必要ですね。

お話聞いていますと、大家族で育ちました私などは、絶えず空気を読んで控えめな態度でいる事が美しい生き方。
とにかく、波風たてない、人前で争うのは醜い、品性がない人間と教え込まれていましたから・・・・。

しかし、聞くとフランス人は、人前でも大げんかすると聞きますし、お互い納得するまでしてしまうのでしょうか?
分かりませんが、先日書いた「人前で鼻をかむ」動作もそうですが、少し日本人の感覚と違うようですね。
日本人が、「恥ずかしい」と思うことが、フランスでは、恥ずかしくない文化・習慣を持っているようですし。

日本は、ずばり「隠す文化」を持ち合わせているのでしょう。それが、「奥ゆかしい」という高尚な文化として尊
ばれているように思いますが・・・。


先日TVで見た番組では、フランスからの団体客が、比叡山でしたか定かではありませんが、そこの修行僧の方が
、フランス人の方で、来た方々にフランス語で案内をし、修行をしていただくというかたちをとっていました。
 番組の説明では、フランスは、精神性を重んずる国なので、近年この修行に参加するフランス人観光客が増え
ていると語られていました。

私もyossyさんのおっしゃるように、個人主義社会の中で生きてこられた方が、それを変えると言うことは、難しい
事であると思います。それを変えることは、すなわち個人のアイデンテイテイーを失うことにも繋がりかねない重要な
事なことであると理解いたします。

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#4 2009-06-28 05:47:37

yossy
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

慶子さん、

ご丁寧なメッセージ、ありがとうございました。また、こちらへの移動を試みてくださり恐縮いたしております。

あらかじめご相談することもなく私の独断でこういった措置をとってしまい、すみませんでした。

日仏文化論をフランス人の方達と繰り広げるには、相当フランス語のレベルを上げなくてはいけませんね。(^^
そして、ご参加いただけるような工夫も必要ですね。

できれば全文にフランス語訳をつけたいのですが、ここまで込みいった話となると難しいですね。
改めていくつかに論点を絞って、二ヶ国語でのディスカッションとして仕切り直すのはいかがですか?

お話聞いていますと、大家族で育ちました私などは、絶えず空気を読んで控えめな態度でいる事が美しい生き方。
とにかく、波風たてない、人前で争うのは醜い、品性がない人間と教え込まれていましたから・・・・。

しかし、聞くとフランス人は、人前でも大げんかすると聞きますし、お互い納得するまでしてしまうのでしょうか?
分かりませんが、先日書いた「人前で鼻をかむ」動作もそうですが、少し日本人の感覚と違うようですね。
日本人が、「恥ずかしい」と思うことが、フランスでは、恥ずかしくない文化・習慣を持っているようですし。

そうですね、基本的には「とにかく」波風立てないことが社会的に奨励されているんですよね、現実に。これが建前の部分。
同時に、本音の部分ではそれぞれの利害があり、お互いの本音を知りたがっています。
この「建前」がうまくいえなかったり、「本音」が他人から見えにくかったりすると、世間(あるいは「和」)から放逐されてしまう。

よくネット上の掲示板などで、所謂「荒れる」現象がよく起こり、敬遠されますが、これも「波風立てない」ことをまず重視する精神性からきていると思います。
また、「ケチくさい」「みっともない」などの理由で本来追及されるべき問題がナンセンスとされ、覆い隠されてしまうこともあります。
そもそも掲示板とは文字のみでのコミュニケーション形態であるのに、日本語は状況依存性が非常に高い言語で、同じ文でも状況にしたがって幾通りもの解釈が可能です。
したがって、掲示板での議論を日本語でしようとするならば、「メタ」文章の部分をきちんと共有できていない限り、当然、誤解を生む可能性は高いですね。
さらに、掲示板では「本音」と「建前」とを別にやりとりすることが基本的にできません(なぜなら、掲示板のメンバーは基本的に他人同士、一期一会の間柄だからです)。このような日本人特有の話法も、誤解を生む原因として大きいと思います。
これらのリスクを踏まえて議論を進めるなら、おのずから「(お体裁ではなく)率直で誠実な物言い」で「相手が自分と違う言語感覚を持っていると前提する」語り口になるはずだと思うのです。
議論の場で、「荒れる」ことを嫌い、「波風立てない」ことばかりに心を注ぐとすれば、それは、「そもそも議論とは何か」という視点が抜けた態度だと思います。(「皆の気持ちを一つにする」のが議論の目的じゃありませんよね。)

「争い」の定義についてですが、日本人は「波風を立てること」を「争い」と同義と見做しているようなところがありますね。
そこで交わされているやり取りが、明らかに攻撃的であると客観的に認められるかどうかは問題ではないようです。また「争い」という言葉がよく「競争」の意味で使われているのも面白いです。「競争」とは、もともとは誰も望まなかった、「やむをえない」ものである、というニュアンスが垣間見えるように思います。

それに対して、フランス人の「争い・けんか」(dispute, querelle)って、日本人のそれとは大分意味が違うんじゃないかと思います。
争いとかけんかの場合は、攻撃的なやりとりがあることが基準になっているようです。(仏仏辞典Robertでの説明です)
単なる議論discute,argumentや批判reprocheは、争いとはいわないみたいですね。
したがって、日本人から見た「大げんか」が争いではない可能性もあるわけです。そしてその場合、お互い納得するまで「やりあう」のは、本人たちにとってみれば、ごく当たり前なことでしょう。
もっとも、本当にdisputeのこともあると思います。その場合も、行き着くところまで際限なく発展する可能性はありますね。
誰かが仲裁して止めるんでしょうけど。


「人前で鼻をかむ」のが恥ずかしくないのは、おそらくヨーロッパ人に共通じゃないでしょうか。
トイレにしてもそうですが、生理現象を恥と感じる感覚はヨーロッパ人にはない気がします。
昔、フランス人の女の先生に仏語を習っていましたが、その人がいうには、日本の文化で一番理解できないのは、女子トイレの「音姫」らしいです。
なぜ排泄の音が恥ずかしいのか?人間ならだれでもすることで、音が出るのは何ら恥ずかしいことではない!と仰っていましたね。
日本のトイレがやたらハイテクだったり(ウォシュレット)するのもこの辺に関係してくるんだとおもいます。便所の神様とか、昔は言いましたよね。「御不浄」とか「ケガレ」の思想がこういった現象を説明するのではないか、と考えています。

日本は、ずばり「隠す文化」を持ち合わせているのでしょう。それが、「奥ゆかしい」という高尚な文化として尊ばれているように思いますが・・・。

まさに仰るとおりだと思います。日本では、精神世界(あの世)のことを「隠れた世界」という意味で「幽世(かくりよ)」といいますね。目に見えないところに尊いものがある、という発想はずっと昔から日本人の心の基本にあるような気がします。日本の権力者(集団の長)たちはそのような霊的存在を「隠して」、隠すことによって自らの権威の根拠としていたのかも知れませんね。
例えば、日本の包装文化なんてまさに「隠す」文化ですよね。何重にも「奥ゆかしく」丁寧に包装したものが、贈り物の格の高さ、まごころを意味していました。

先日TVで見た番組では、フランスからの団体客が、比叡山でしたか定かではありませんが、そこの修行僧の方が、フランス人の方で、来た方々にフランス語で案内をし、修行をしていただくというかたちをとっていました。番組の説明では、フランスは、精神性を重んずる国なので、近年この修行に参加するフランス人観光客が増えていると語られていました。

なるほど。フランス人の方が案内されるのですか。
近頃は本当にたくさんのフランスの方が「和の精神」に興味を持たれていて、これでようやく「和の精神」は世界的なポピュラリティを獲得するのではないかと、実はちょっと期待してはいるのです。それは、ヨーロッパの方が「和の精神」に感化されるのを期待するという意味ではなく、
むしろ彼らと我々日本人が接することで、我々自身が変わっていける、という効果を期待しています。


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#5 2009-06-29 17:04:05

KA
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

                          yossyさん et  tout  le monde !

Bonjour !big_smile

メッセージありがとうございました。そうですね、論点を絞って、1つのテーマを10行程度にまとめてお話する
のが理想的かもしれません。

後は、フランス人の方に振って、「どう思われますか?お答え待っていまーす!」と問いかけてみたいですね。

また、話の内容を柔らかい表現に直して、堅苦しくない表現法をつかっていきたいです。

yossyさんのおっしゃる「隠す文化」論は、大変興味深く読ませていただきました。(^^)
日本に於ける「霊的存在」とは何でしょう?神社などは、人を奉ったり、ご神体は奥の方に隠され置かれていた
りもしますよね。「やおよろずの神」を拝む日本の風習ですが、私は、クリスチャンなので一言申し上げると、キリ
スト教の場合は、宇宙万物を創造された唯一の神を礼拝していますので、その点において、前者は多神教、後
者は一神教という理解になります。また、キリスト教の神は、偶像ではなく正に「霊的な存在」であって偶像礼拝
を極端に嫌います。欧米は、キリスト教の影響でしょうか?隠さずにすべてを明らかにする、オープンの文化体系
をとっているようですね。全知全能の神の前では、隠そうとしてもそれが出来ない。よってすべてを神の前にさらけ
出して罪があれば、祈って神のご慈悲を願うというとらえ方であると思います。


これに対して、日本の「奥ゆかしい文化」は、隠すところに神秘性があり、格調の高さを思わせるのでしょうか?
日本人として私は、クリスチャンではありますが、この「奥ゆかしさ」や、「控えめな態度」という文化や習慣を
とても高く評価しています。自分を前面に出さず、一歩引いて、「お先にどうぞ」という謙虚な態度は「和の精神」
にも通じ、人間関係を円滑にしていますね。日本の誇りでもあります。smile

「禅」の修行もいろいろあるようですが、特に「座禅」はいいですね。自分と向き合い、省みる良い機会となります
し、何事にもとらわれない「無」の境地になることも、日常必要ではないかと思います。人間は、とかく心の中で、
自分という存在を大きくふくらませてしまい、他の人への配慮に欠ける事が、よくありますから。(私かも?)^^;

またまた、話が、長くなってしまいました。掲示板のみなさま、本当にごめんなさ~~~い。m(_ _)m

PS.フランス人の方で、「座禅」を組んだ方いらっしゃいますか?もしも、いらしたら、感想聞きたいです!(^^)


wink出来ましたら、どなたかに、1部分でも仏訳していただけるとありがたいのですが・・・。(私も少しずつがんばりますので)

Last edited by KA (2009-06-29 17:08:56)

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#6 2009-07-04 01:08:17

yossy
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

ついに宗教の話になってきましたね~

私は、キリスト教や仏教、神道、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教など、それぞれを「宗教」というカテゴリーで括ること自体、あまり意味がないんじゃないかな、と思っています。
宗教といっても、その内実はそれぞれ様々ですし。
例えば、仏教はもともと神様なんかいなくて、いるのは釈迦ですよね。
儒教にも神様はいませんね。超越的な存在を宗教の真ん中にもってくるかどうかだけでも、それぞれずいぶん差があります。
そこの微妙な違いは認識した上でないと、上滑りな話に終始する可能性がありますね。
イスラム教などは、コミュニティの運営システムとして利用されてきて、政教一致で運営されてきた社会を西欧風に改革したことで問題も起こったようです。ローカルな社会で問題なく機能しているものを、根本的な概念のズレから検討することなしに、全く別の視点から語ることは却って問題を起こす可能性があるわけです。

そういうことを踏まえて、注意深く話したいと思っていますが、
まず、キリスト教では偶像崇拝しないというのはちょっと違うのでは?
カトリック教会にはマリアやキリストや各聖者の像が飾られていますが、それは偶像崇拝ですよね。
逆に、プロテスタント系の教会ではそういう像はありませんね。
それから、「八百万の神」という概念を「多神教」と言い切ってしまうのは語弊があるかと思います。なぜなら、多神教というと、ギリシャ神話やヒンズー教の神々のように複数の人格神の集合で、それぞれが神殿などをもっていたりするイメージなんですが、「やおよろず」というのは「無限に多い」という意味で、それらをいちいち区別して、個々の人格神を崇拝したりするものではないからです。したがって、「八百万の神」とは「神様の数が多い」と言う意味ではなく「至る所に神がいる」という意味の言葉だと思います。また慶子さんが仰るように、これは日本の「風習」であって、宗教かどうかというと微妙な気がします。

キリスト教が「隠さない」文化のルーツであるとするのはなかなか難しいと思います。聖ヒエロニムスは隠者でしたし、修道院という閉鎖的な空間で、多くの文化的な成果が上がっています。それに、告解は密室で行われますよね。そういうことを考えていくと、大事な物事は隠す、隠れたところで行う、というのは共通のようです。多分、違うのは、何が隠すべき大事なものか、という、判断基準の差ではないでしょうか? ひょっとすると、私と神の個人契約の関係は「隠すべき」もので、そこから派生してくる「隣人愛」はオープン、ってことでしょうか?慶子さんの仰る「オープンの文化体系」を示す具体的な例など挙げていただけると、もう少し的を得たコメントができると思います。
ただ私が、ヨーロッパで、隠さない、フランクであることが尊ばれる理由を考えたところ、多分歴史的に、隠すのは危険だったからじゃないか、という気がしてきました。お互い話の通じない多民族が入り乱れる土地で、何かを隠すのは「奪ってくれ」といってるようなものだし、持って回った言い方は誤解を生じて、深刻な対立になれば自分の身を危険に晒すことになる。相手に理解不能なほど凝った包装は相手を疑心暗鬼にさせるでしょう。信頼ベースの社会でない、懐疑ベースの社会では、隠すことは余り奨励されないと思います。
また、francとはfreeの意味がありますから、率直であることは、欧米的な自由の概念とつながっている、とも言えそうです。

これに対して、日本の「奥ゆかしい文化」は、隠すところに神秘性があり、格調の高さを思わせるのでしょうか?

そうですね。隠されたものだけでなく、美しく隠す行為自体がプラス評価されるのが日本文化の面白いところだと思います。つまり、隠していることが綺麗に見えるように隠すわけです。九鬼周造の「いきの構造」なんか読んでると、半ば透けて見えて、半ば隠れている、その微妙な加減が「いき」だ、というんですね。また、清少納言の「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。」なんかは、山に隠れた太陽の境界が美しいという、見えそうで見えない微妙な情景に美しさを見出しているわけで、これも非常に日本的です。

この「奥ゆかしさ」や、「控えめな態度」という文化や習慣をとても高く評価しています。自分を前面に出さず、一歩引いて、「お先にどうぞ」という謙虚な態度は「和の精神」にも通じ、人間関係を円滑にしていますね。日本の誇りでもあります。

謙虚の徳が日本では本当に高く評価されますね。でも、自分が謙虚であろうと思ったとき、それは「和を乱さないため(建前)」なのか、それとも「自分の良心が命じるから(本音)」なのかをはっきり意識したほうがいいんでしょうね。そうすることで、軸がぶれない態度がとれるようになってくるんだろうと思います。
また、謙虚といいつつ、単に「出る杭」になるのが嫌なだけなのかも知れません。
「謙虚な私」という自己認識は自分を誤魔化す格好のフレーズですので、充分注意しなければならないと思います。

「坐禅」いいですね。いずれ、正しい坐禅の組み方を習ってみたいものです。


さて、この辺で一旦話をストップして、まとめませんか?
フランス人の皆さんと議論してみたいことを、ピックアップしていきましょう。


[img]http://img7.imageshack.us/img7/4511/132533.jpg[/img]

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#7 2009-07-04 10:11:02

yossy
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

簡単にまとめてみました。

1.デカルトの批判精神はフランス人の人格を形成しているか?

2.グローバリゼーションとスローライフ
 1)グローバリゼーションをどう思うか?
 2)グローバリゼーションによってスローライフは難しくなったか?
 3)フランスではスローライフは容易か?(SMICと日本の最低賃金を比較)
 4)スローライフにあこがれるか?

3.独居老人の孤独死はフランスでもあるか?

4.フランスのヴァカンス制度について
 1)フランスのヴァカンス制度についてどう思うか?
 2)有休のスケジュールはどうやって決めてる?
 3)ヴァカンス中には何をしてる?
 4)同僚がヴァカンス中の時にその同僚宛に電話がかかってきたらどうするの?
関連トピック
http://france24h.free.fr/forum/viewtopic.php?id=617

5.フランス人の労働観はどのようなものか?

6.日本の労働観をどう思うか?(部署内の精神的な一体感・上下関係・個々で長期休暇をとることに対する社会的な合意がない)
 「休むなら皆一緒に」「上に強制されないと休めない」

7.一般的なフランス人は、政治参加としてはどんなことをしているか?

8.「和」について
 1)「和」の精神をどう思うか?
 2)建前と本音の使い分けはフランス人もするのか?
 3)フランク(率直)であることはどの程度美徳か?
 4)禅の命じる「主客の対立から離れよ」はフランス人に可能だと思うか?坐禅をしたことがある?感想は?
 5)日本の「隠す」美学をどう思うか?

だいたいこういうことを話題にしていけばいいんじゃないでしょうか?
他にどんなことをテーマにしたいですか?


[img]http://img7.imageshack.us/img7/4511/132533.jpg[/img]

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#8 2009-07-07 01:56:32

KA
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

                     yossyさん

今までの、議論の「まとめ」をしていただき、ありがとうございました。ただ、話題が、非常に専門的で、かたくるしい内容ではないかと思います
ので、他の方々には少し入りづらいかと?思いました。掲示板では、宗教・哲学・思想の話は、なかなかむずかしいかもしれませんね。

私は、先日、プロテスタントの立場でお話しましたが、欧米の「オープンの文化」に関しては、やはり、歴史的観点から見ても、日本とは大きく
異なっていますね。欧米のように多民族で構成されていない日本のような社会にあっては、オープンにする必要性がないわけで、極端に言え
ば、あいさつしなくても済んでしまう、物事を共有しなくてもわかりあえてしまう社会であるかもしれません。

その点、私は、フランスへは旅行だけでしたので、よくは分かりませんが、今年の春渡仏した娘の話を聞くと、フランスは、本当に多民族。近隣
諸国からの移民の他にも、中国、韓国、日本とアジアから来ている人たちがいて、肌の色も、白人、黒人、黄色人と様々であると言っていました。

今、日本も少しずつ、そうなりつつありますけれど、日常は、どうでしょう?私の周りでは、ブラジル人(ポルトガル語)、ウクライナ人、アメリカ人、
中国、韓国、スリランカ、モンゴル人といろんな方がいらっしゃいます。あまり親しくお付き合いはしていないので、何とも言えませんが、フラン
ス人の方は、一般的にオープントークを好むのでしょうか?

今まで、知っているフランス人の方は、、プライベートな話も、すんなりしているように思いましたが・・・。日本人は、少しずつ、様子をみて、信頼
のおける人と分かってきたら、プライベートな話をしてゆくのではないでしょうか?一般的には、どうでしょう?

フランス人の方にも聞いてみたいですね?この辺のところ・・・。

                                                                      keiko,慶子

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#9 2009-07-15 02:12:55

yossy
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

今までの、議論の「まとめ」をしていただき、ありがとうございました。ただ、話題が、非常に専門的で、かたくるしい内容ではないかと思いますので、他の方々には少し入りづらいかと?思いました。掲示板では、宗教・哲学・思想の話は、なかなかむずかしいかもしれませんね。

そうですね。実際の話題の提示は、もっと卑近な例を用いて説明するようにしますね。

欧米のように多民族で構成されていない日本のような社会にあっては、オープンにする必要性がないわけで、極端に言えば、あいさつしなくても済んでしまう、物事を共有しなくてもわかりあえてしまう社会であるかもしれません。

確かに、日本では言葉を発することがフランスほど重要ではない、というか、むしろ沈黙しているほうが得だったりする場面って多いと思います。挨拶を省略することが親密さを表したりすることもありますね。「甘えの構造」なんでしょうか?「あえて言わずとも通じる」という変な確信みたいなのがあって、コンテクストが共有できている場合は実際通じたりします。ここは「本音」の領域なのかもしれません。
しかしこれとは逆に、「親しき仲にも礼儀あり」とも言いますね。自分の感じている親密度と相手のそれが一致するとは限らない、という謙虚な考え方だと思います。また、職場や学校で朝礼というものがあって、全員そろって挨拶するという習慣は、日本独特のものだと思いますが、これは挨拶の重要性を認識した結果のシステムだと思います。考えてみると、挨拶とは結局、互いの存在を確認しコミュニケーションがとれていることを確認する「形format」なんでしょうが、(コンピュータ用語で言えばpingか?)日本人は口頭での挨拶以外にも、暑中見舞い、年賀状、お中元にお歳暮と、システマティックに挨拶するのが好きですね。こっちは「建前」の領域でしょうか?いや、あるいは、「含羞」があるから「本音」のコミュニケーションがとりにくくなっている人に「挨拶」というフォーマットを利用して語りかけようとしている、という側面はないでしょうか?
最近は、若い世代の社会人が挨拶を余りしないというのでネット上で話題になっていますが、これも、「建前」の範疇にいるときは挨拶すべき、という共通認識が前提になって起こっている現象なのでしょう。
日本語の「挨拶」は、元々禅宗の用語であったそうです。禅は本当に深く日本人の心に影響しているもののようですね。

私が面白いと思うのは、我々日本人は、コンテクストが共有できていない場合でも、そのことを言葉に出すのを極端に嫌がるということです。
まるで、それが「あってはならない事態」であるかのように扱うのですね。
例えば、フランス語で相手の言葉に対して je ne comprend pasは普通に使うし、別に失礼ではないです。
でも日本語で、「仰る意味が理解できません」というと、かなり攻撃的に聞こえてしまうのです。「あってはならない事態」を引き起こした相手を非難する言葉のように聞こえるからでしょう。
しかし、「コンテクストが共有できていない」「話が通じない」ことは、あってはならないことなんでしょうか?

そう考えると、「物事を共有しなくてもわかりあえてしまう社会」は、実際にそうであるのではなく、むしろ日本人の希望なのではないか?という気がします。つまり、実際には「一から話さなければわかりあえない社会」であっても、それを認めない、という姿勢です。

フランスは、本当に多民族。近隣諸国からの移民の他にも、中国、韓国、日本とアジアから来ている人たちがいて、肌の色も、白人、黒人、黄色人と様々であると言っていました。

そうですね。特にパリは、正に人種の「るつぼ」ですね。以前、市内を南北に歩いて見ていったことがありますが、それぞれのquartierに違う人種が住んでいて違った店が並んでいて、それぞれの地域社会を築いていることが分かりました。リトルチャイナとか、リトルアフリカ、といった雰囲気ですね。

フランス人の方は、一般的にオープントークを好むのでしょうか?

改めて確認させていただきたいのですが、「オープントーク」とはどういったものを指して仰っているのでしょうか?
仮に「フランクな会話」という意味合いであれば、すでにまとめの中に盛り込んでいます。

プライベート/オフィシャルという二項対立で取り扱う話題の内容を分けるならば、
このFranponaisを見てみると、フランス人メンバーの好む内容はプライベートな話題が多いと思いますね。「私の~」という話題が多いと思います。それに、個人主義者とは本来的に個人に興味を持つものである、ともいえます。
これはフランクであるとか、そうでない、といったアスペクトとはまた別の次元の問題ですね。

日本人は、少しずつ、様子をみて、信頼のおける人と分かってきたら、プライベートな話をしてゆくのではないでしょうか?一般的には、どうでしょう?

気の許せる相手かどうかを判断してから、本音トークに入る、という意味でしょうか?だとすれば仰るとおりだと思います。
しかも、そこには何段階かの階層が存在しますよね。例えば、赤の他人が階層0だとすると、会社の同僚が1、友達が2、親友が3、親兄弟が4、恋人や夫妻が5とか。
フランス人もおそらくこういう階層的な対人距離のとりかたをしていると思うのですが、日本人とはきっと違いがあると思います。
これは、訊いてみると面白そうです。


[img]http://img7.imageshack.us/img7/4511/132533.jpg[/img]

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#10 2009-07-15 04:10:34

KA
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

yossyさん

毎回、丁寧なメッセージを頂いて、恐縮しております。でも、フランス人の方に分からないかもしれないので、
申し訳ないとも思っています・・・。

yossyさんの物事に対する多角的な見方、そして深い洞察力にはただただもう、脱帽です。考えさせられます。
さすが、哲学専攻者ですね。

内容、拝見していますと、やはり、日本は、「島国根性」からいつまでも、脱却できない民俗なのでは?と思わされ
てしまいます。
 日本の社会では、「なれ合いの仲」あるいは、俗語で「なあなあの仲=(そうだよね~)」などと言われますが、
この関係も、公的な場面では1人1人の考えは違って当たり前の筈ですが、どうも全体主義体制にもっていきたい
という人がいるのですね。反対にもっていかれた者は、和の文化から脱却しなければ、自分を見失うことになって
しまうわけです。


欧米は、やはり個人主義の社会ですから、一人の人間として尊重され、たとえ考えが、自分と違っていても、それを
受け入れる、決して相手が反対意見を言ったから、自分を否定しているわけではないということを、容認できる社会
ですね。ある意味、非常に理性的であり、大人社会であると考えます。

それに対し日本社会は、「義理人情」を重んずる社会ですから、合理性で割り切れない部分を、義理や人情でカバ
ーしていると言っても良いかもしれませんね?それによって、人間のメンタル部分を補っているようにも見えます。

ところで、フランスのみなさんにも、おききしたいですね。smile
フランスにも、日本のような「義理人情(ぎりにんじょう)」の考え方ってあるの
でしょうか?hmm
 



                                             

Last edited by KA (2010-07-17 01:25:20)

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#11 2009-07-15 13:02:37

éricM
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

Tout à fait d'accord.
big_smile

[aparté] Bon ben oui j'ai rien compris et alors je participe. tongue [/aparté]

Last edited by éricM (2009-07-15 13:03:47)


[i][b][color=pink]Si vous ne comprenez pas mon humour alors dites-le moi avec des fleurs.[/color][/b][/i]

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#12 2009-07-15 18:42:26

yossy
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

salut eric,

oui, je suis désolé que pour l'instant on peut pas partager ce débat avec les Français.
bientôt on va discuter ensemble en bilingue.

mais quand même je vais vous prévenir un peu les sujets qui viennent;

1. L'ésprit critique ( typiquement vu dans le discours de René Descartes ), comment est-il présent parmi les Français d'aujourd'hui ?

2. Mondialisation économique et 'slow life' (=vivre à pas sûr, en prenant son temps, manger sain, travailler sain, et se loger sain. profiter pleinement de la joie de vivre. )
1) Qu'est-ce que vous pensez de la Mondialisation économique ?
2) Est-ce que 'slow life' est devenu plus difficile à realiser, à cause de la Mondialisation économique ?
3) Est-ce que 'slow life' est-il facile à realiser en France ?
4) Vous rêvez de slow life' ?

Voilà c'est tout les deux premiers débats.


[img]http://img7.imageshack.us/img7/4511/132533.jpg[/img]

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#13 2009-07-15 18:45:57

Le Piaf
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

J'ai déjà passé une heure à lire et je n'ai lu qu'un dixième de la conversation... hmm


Le Piaf (スズメ)

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#14 2009-07-18 07:03:55

KA
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

Bonjour, yossy.

仏訳の作業、お疲れ様でした。ところどころで、至らない私の、フォローもして下さり恐縮に存じます。

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#15 2009-07-26 15:12:48

KA
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

Bonjour ,Le Piaf .  une heure à lire ?

Je suis desolé de ne pas être capable  de  traduire la  coversation en français.

Parce que je veux savoir une chose  de la  société française , veuillez l'enseigner

de  plusieurs  façons.  よろしくお願いしますm(_ _)m

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#16 2010-07-15 11:40:06

KA
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

yossy a écrit - による投稿:

コンテクストが共有できていない場合でも、そのことを言葉に出すのを極端に嫌がるということです。
まるで、それが「あってはならない事態」であるかのように扱うのですね。
例えば、フランス語で相手の言葉に対して je ne comprend pasは普通に使うし、別に失礼ではないです。
でも日本語で、「仰る意味が理解できません」というと、かなり攻撃的に聞こえてしまうのです。「あってはならない事態」を引き起こした相手を非難する言葉のように聞こえるからでしょう。
しかし、「コンテクストが共有できていない」「話が通じない」ことは、あってはならないことなんでしょうか?

そう考えると、「物事を共有しなくてもわかりあえてしまう社会」は、実際にそうであるのではなく、むしろ日本人の希望なのではないか?という気がします。つまり、実際には「一から話さなければわかりあえない社会」であっても、それを認めない、という姿勢です。

プライベート/オフィシャルという二項対立で取り扱う話題の内容を分けるならば、
このFranponaisを見てみると、フランス人メンバーの好む内容はプライベートな話題が多いと思いますね。「私の~」という話題が多いと思います。それに、個人主義者とは本来的に個人に興味を持つものである、ともいえます。
これはフランクであるとか、そうでない、といったアスペクトとはまた別の次元の問題ですね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Bonjour  tout le monde. Ça fait longtemps.

yossyさん

やはり、日本人のある一部の人々は、全体主義体制でありたいと願っているのかもしれませんね。今までyossyさんが語られた
事を理解する中で、今の日本を構成している年代別の人々の考え方をみたり聞いたりしていると、戦前の封建的な考え方や民
主主義の世の中であるはずが、そうでなかったりする社会が、実際に今も存在している事を考えると、私などは、もう驚きを通り超
えて、戦後の日本は、まだ完璧なかたちで自由で平等な社会になっていないのだということを実感致します。

また、欧米の個人主義は、1個の人間の「人格」を尊重し、全体の中でも埋没しない人間を作り上げるという点において人間の
能力や精神を重視するので、経済・文化の発展には大きく寄与していると思います。フランスもまた、バカンスを長く取ったり、
楽しむことを重視する国なので、その休息によって個人の独創性が開花し社会に還元されていくのでしょうね。(これは、以前
yossyさんもおっしゃっておられたことですね) smile



 

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最近、個人主義について、深く学びたいと思っております。現在のようにグローバル化された社会の中で、日本は世界を
相手に政治や経済を推し進め、外国語の習得やその国の文化や習慣を理解することは、当然不可欠な事として理解さ
れています。
 実際、私の周りでも、友人や親戚の者が、世界で活躍しておりますが、たとえば、ロンドンで日本語学校を経営している
とか、ニュージーランドで旅行代理店をしているとか、あるいは経済学者として、世界を飛び回っているとか皆様々ですが。

直接、彼らと「個人主義」について話したことはないのですが、私の捉える「個人主義」は、利己主義とも同義語であるこ
とから、人間のエゴイズムという言葉で言い表すことができます。
辞書を引くと、自己の利益・幸福・快楽にとらわれ、その追求のためには、他人の迷惑をもかえりみない考え方や立場
と記されてありました。
 私の高校時代までは、全体主義が主流でしたが、今の日本の若者達は、「個性を伸ばす教育」の標語のもと教育
されてきていますので、大きく変革を遂げている事は確かですね。しかし、この教育が、果たして欧米の個人主義に繋がる
かどうかは、はなはだ疑問であります。

「個人主義」 、「全体主義」どちらも、プラスの要素とマイナスの要素を兼ね備えているとは思いますが、全体主義思想
をどこかに抱える日本人の方がフランスで生活した場合、かなり驚かれるということはありませんか?カルチャーショック
というか・・・。和の文化をもつ日本人ならではのお話が、お聞かせ願えれば幸いです。smile
 
ex,私がParisに行った時、レストランの前に2人のギャルソンがいて、そのうちの1人が突然何も言わず(私がアジア
人だから相手は言葉がしゃべれず、仕方なかったのでしょう)、いきなり私のガイドブックを取り上げ自分たちのお店を探し
始めたという事がありました。後日談として、知人に話したら、「何も言わないなんて、失礼な人!きっと教養のない人か
マナーをわきまえていない人だわ」という答えが返ってきました。
 当の私はといえば、きっと白人至上主義の考え方もある国だから、アジア人は軽視されるのかしら?などとそんな風に
捉えていましたが。
 一方、アフリカ系移民のタクシーの運転手さんは、違っていました。とてもフレンドリーで、「マダム、タバコをお吸いにな
りませんか?」などとサービスが良かったり、写真のシャッターを押してくれたり、とても親切でした。^^

以上の私のexが、個人主義に関わる話かどうかは分かりませんが、二か国間の対比など考えながら、ご返答いただ
ければ、大変ありがたいです。smile

それでは、A bientôt !
後日、仏訳ができると良いのですが・・・^^;

Last edited by KA (2010-07-17 02:33:30)

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#17 2010-07-15 21:38:46

Aramis
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

Ne vous inquiétez pas, les francophones.
Bien que le japonais soit ma langue maternelle, j'ai mis des heures pour lire tout ce débat. lol
Enfin, c'est très intéressant. smile

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#18 2010-07-16 11:18:18

KA
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

Vers le français smile

Celle du Japon, tout le monde pensait qu'il y avait un choc culturel, s'il vous plait laissez.

Last edited by KA (2010-07-16 11:32:37)

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#19 2010-07-16 11:40:26

Guillaume95
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

Pour ma part, je veux vite progresser pour participer à ce genre de débat. smile
C'est très intéressant. ^^

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#20 2010-07-16 19:27:22

Melv
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

Bonjour tout le monde,
みんなさん、こんにちわ

Je vais essayer de traduire la conversation en français ce week-end, mais je ne suis pas sûr d'y arriver :s
今週末、僕はこのおしゃべりをフランス語に翻訳してみるけど、成功すると確信していませんね。。。

Si quelqu'un essaye aussi, il/elle peut me le dire ?
誰かも翻訳してみれば、教えてくださいね。

Je pense que j'aurai fini dimanche soir. Je préviendrai si je laisse tomber smile
日曜日の晩にもう終えていると思います。やめると、教えますよ。

Last edited by Yakuza-no-Don (2010-07-16 19:29:19)


Anciennement Yakuza-no-Don et YND. De retour après une TRES longue absence.

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#21 2010-07-16 22:57:36

Baleine des Sables
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

Un traducteur pour se jeter à l'eau ?

J'ai pas suffisamment d'expérience pour traduire !


Je peux enseigner le français gratuitement aux Japonais !
Je corrige vos fautes du mieux que je peux, en espérant que cela ressemble au maximum à ce que vous souhaitez dire aux Français.
http://fauxwotasgeek.wordpress.com/
Mon pseudo Skype si vous avez besoin de moi envoyez - moi un MP pour l'avoir

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#22 2010-07-17 14:18:41

Guillaume95
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

Je veux bien essayer aussi.

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#23 2010-07-17 15:09:59

Melv
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

J'ai essayé de traduire hier mais c'est trop dur hmm
En italique, ce sont les parties que je comprenais à peine.
Vous inquiétez pas, on dirait de la traduction automatique mais c'est parce que c'est que mon brouillon.

"yossy > KA
D'après mon expérience, ce que je me suis laissé dire, si on peut régler toutes les formalités Pour les études universitaires à l'étranger (l'envoi de demande d'admission, l'obtention de visa) en français, est-ce qu'il ne faut quand même pas un minimum de maîtrise de la langue dans la vie de tous les jours ? ()

Comme j'ai fait des recherches sur la philosophie des pères d'églises, je présume que c'est en plein milieu de l'Augustinus[/].
Etant donné que je me suis spécialisé dans l'oeuvre de Descartes pour la philosophie française, je pense que je peux plutôt bien partager mes connaissances sur le sujet.
Cependant, ce qui me fascinait personnellement, c'était plutôt Montaigne.
[i]C'est l'architecture des églises mais, sûrement un petit village de campagne a une structure d'église qui a changé. Cela finalement, dans chacun de ces lopins de terre, "sare kata" de réception catholique, est différent et a une relation, et le fait de conduire/mener à un tel paysage historique est agréable aussi, je trouve.
Ce que j'attendais de ce site est exactement "contempler le Japon de l'extérieur", je pense que tout le monde certainement "ici c'est bizarre Japonais" une bonne fois pour toutes, comme le fait critique tout le monde bouche, c'est un endroit oùje me suis demandé s'il y a avait une méthode un peu près bonne.


KA > yossy

Merci beaucoup pour ton message. c'est très bien de garder un oeil sur les études de "fukke", et aussi le nombre de fois qu'ils se sont établis. Toutefois, ..., pas fait clairement le sens du but, l'apprentissage d'une langue est impossible. Si je dis d'après mon niveau actuel, au mieux, les endroits touristiques sont de bons lieux. ... merci du conseil.

La philosophie des pères d'églises, oui voilà, ma thèse portait sur l'Augustinus. Mon ami(e), lui/elle, a fait des recherches sur Bergson.

yossy, votre spécialité était la philosophie française ? j'en suis très étonnée. Mais, Descartes étant votre spécialité, ...


Anciennement Yakuza-no-Don et YND. De retour après une TRES longue absence.

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#24 2010-07-17 17:42:00

Guillaume95
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

Merci. Je ferais une traduction de mon côté ce soir si j'ai rien à faire. Il y a du boulot ! smile

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#25 2010-07-19 14:18:46

KA
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Re: 雑談(日仏文化論) Conversation sur la culture jp-fr

Yakuza-no- Don

Merci beaucoup pour votre traductions.^^

Bonjour tout le monde. Merci pour les messages.^^

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